猫好きの気持ちについて今日は考えてみようと思う。
口調がいつもと違うがそこは受けれいて欲しい。
早朝に猫に起こされることは光栄
まず朝である。
早朝、夜明け前にごはんを要求するために起こしてくる猫は多いことだろう。
季節によっては起床予定時間より数時間早いこともあるこの早朝の猫起こし。
通常であれば大変迷惑にも思えるかもしれないが、猫に全てを捧げた人間にとっては光栄な出来事なのである。
猫が私を頼ってくれている。
それがうれしいのである。
故にどんなに眠くても起きてごはんをあげてしまう。
(頑なに起きなければ猫も覚えるので実は朝ごはんの時間は調節可能です。)
物を落とされるのも信頼の証
ぶら下がっているものは引っ張り、乗っかっているものは落とす猫。
基本的に新しく設置した何かには必ず手を出し、落とすか倒すかされるのがデフォルトです。
しかしそれも「この場所は安全」と思って自由に振舞ってくれているがために起きる出来事であると受け止めている。
そう、猫に信頼されている証なのである。
だから何かをしている時に、目を離した隙にあちこちひっくり返されていてもそれは「やっても大丈夫」と信頼されている結果なのである。
そしてそれを悠長に写真に撮ったりなんかするのだから滑稽である。
猫に踏まれたりベッドにされることは喜び
猫が体に乗ってくる。
これ以上の幸せがこの世にあるだろうか(いや、ない)。
彼らは時に人間の体の上を通ったり、ベッドにしたり、我が道を行き自分の快適さを優先する。
しかしそれがまた猫好きの心をうまく操る結果となっている。
猫が自分の上に乗ってくれているなんてことはご褒美でしかない。
足の間で寝ている猫のために自分が動けなくても「容易に動かしてはいけない」と、この身を犠牲にして猫のベッドになる。
だって自分のことを信頼し、安心できる場所と考えてくれているのだから。
ちょっと不思議で魅惑的な生命体、それが猫です。
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